Scenery 沿途景點
10 オクスフォード学堂
1880年、ドクターはカナダの故郷―オクスフォードに戻って、宣教の状況を報告しましたが、親族は「空を天井として、芝生を床として」というような貧しい教育環境であることを聞いて、皆で彼を応援し、6215ドルを募って、建校資金にすることができました。
淡水に戻ってから、すぐ、赤牛稠の吳宗頭さんから土地を購入し
、自ら設計し、監督しました。また、アモイから瓦と杉を輸入取りいれ、建築士洪泉さんが工夫して、もち米、黒砂糖、石灰と砂をセメントの代わりにして施工しました。中華式と西洋式の融合にて作られた煉瓦書院(れんがしょいん)は、「理学堂大書院」と名づけ、親族のご厚意に感謝するため、英語でまた「Oxford College」と名づけられました。
この四合院農舍を真似して、建てたオクスフォード学堂は、充分にドクターが認める本土文化理念を表しています「。この中華式と西洋式の融合にて作られた建築は、台湾にて、最初の西洋学堂であり、当初学生は18名しかいませんでした。
授業の内容は聖経(せいきょう)から始め、医療、化学、動物学、天文学及び生理学などもありました。ここは、ドクターの宣教活動や、医療と社会教育の人材を育成する根拠地になりました。)
淡江中学が1914年からオクスフォード学堂を使い始めました。1925年以前は、教室として使い、1931年から37年まで、台北神学院の校舎になり、また、学生の宿舎、幼稚園、音楽教室、美術教室などとしても使われていました。
1985年に、オクスフォード学堂は二級古跡になりました。その壁には1884年10月清仏戦争の時、残された弾痕(だんこん)があり、たいへん珍しいものとされています。現在、真理大学の校史館、馬偕記念資料館、及び北台湾キリスト長老教会史跡館(しせきかん)として使われています。