Scenery 沿途景點
05 馬偕の発展地
初めて淡水に着いた1782年、当時のイギリス領事と商人の協力で、今の淡水教会の傍らの馬偕街24号の後ろの坂にある部屋を、地主から月に銀15元で借りていました。ここは、もともと清の孫開華提督の厩(うまや)で、簡素で古く、雨になると、どろどろになって、人が住むのにふさわしくない所でしたが、ドクターがいろいろ工夫をこらしよく考え、整理整頓してから、1876年砲台埔の新しい宿舎が完成するまで、ずっと居住、伝教、教育、医療の基地となっていました。
1872年4月13日のドクターの日記には、「引っ越すことはそんなに難しくなかった、もともと荷物はただ松木箱二つしかない。ベッドもないし、椅子も机もない。それでも、小さな部屋があり、豪邸より不自由なことろは全然なかった。一生の中で、このときより楽しい時間はない。」と書いていました。これを読むと、ドクターは厩を住居とした生活になかなか満足しているようだったといえます。彼の素朴な生活習慣は、本当に感服させられるものでした。
ここは、清朝時代には『龍目井』と言われ、後に、政府はドクターの貢献を記念する為、『馬偕街』と名付け直しました。今、見ることのできる部屋は、もう昔のものではなく、実際に残っているのはたった一つの記念札だけです。その背後に隠れている辛さは誰にも理解できないものでした。