1872年3月9日に、ドクターが上陸してから、無料で投薬治療をして、同年6月にはオペをして、病室で看護の仕事もし始めました。西洋の薬とドクターの情熱で、患者は日々増えていきました。最初の年に、1023名の患者が訪れ、翌年5月、更に部屋を借り、診療所を「滬尾偕醫館」と名づけました。
ドクターの必要経費は、大部分が水運外商商社及び淡水現地の篤志家「紳士」たちから寄付されたものでした。1879年、アメリカからドクターと同じ苗字である船長の未亡人が、亡き夫を記念する為、病院の建築費として、2500ドル...